大分へ帰省した二日間のはなし。帰る日
2日目の16日。
朝5時すぎに起きだし、起きて10分足らずでもう一度、海へ!
前にはひたすら広がる海、空、背中には一面田んぼ。そして感動的なまでの朝靄。
谷川俊太郎の詩を思い出しながら、日の出を待つ。
まだ暗いうちから海で待ってると、近所のおばあさんが散歩している。話しかけてくる。
元気よく おはようございます!と言えば、感じ良く話しかけてくれる。だがしかし、何を言っているのかさっぱりわからない。九州は方言が多い!同じ市内の中でも方言がいくつもあるのではないかと思っている。祖父と祖母も違う語尾だった。語尾は男言葉女言葉とかの違いもあるのだろうか。小学生の頃から気になってはいたけれど、真相を確かめそびれた大学時代。私は日本文学文化学科卒業生。いつか必ず調べる。
でまあおばあさんにAh hah?🤷♀️みたいな態度をされ、ようやく解放。恐れていたことは起こったがなんとか終わった…。
そしてようやく日が
昇り始める!
もはや夕焼け!
長かったーーー!!!でも待ちに待っただけあって圧巻だった。陽が出た途端靄は晴れ、一気に暑くなった。朝が来るってすごい。
どこに居てもどんな生活をしていても朝は毎日きているけど、やっぱり朝は1日の仕切り直しなんだなと感じた。
かに🦀
そしてここは何を隠そう、日本のUSA。本当はホームのすぐ側に山があって、かの有名なハリウッドサインのようなUSAサインがあるんだけど、撮れなかった、、。
お墓まいりをして、畑へ行って栗の収穫をした。痛い。
この緑の丸は かぼす 。大分名物の柑橘系の食べ物で、すだちに近いかな?
お土産はほぼかぼす。 知名度はなく、これから浸透していくには何か爆発的なきっかけが必要だと思う、そんな存在 かぼす。
そのあとは別府地獄めぐりへ。
ん、待てよなんだこれ 「神仏習合発祥の地」「神輿発祥の地」ほんとにい?!言ったもん勝ち的なやつ?!ほんとに?!まあいいけど
いーお天気!
マイナスイオン(知らん)
大分県の誇る温泉街、別府地獄めぐり!
大学生のとき友達と地獄めぐりしに来て、タクシーの運ちゃんに連れてってもらった地元の人しか知らないガチな温泉が湧き出てる場所に行って大学生4人で自撮りとかしてたら後ろに全裸のおっさんが写っていたことをふと思い出した。わろた。お風呂で写真撮った私たちが全面的に悪かった…野外とは言えお風呂ですよねすみませんでした…おっさん…
そして!ついに!現実と言う名のお家へ帰るターン!
大分空港へレンタカーを戻し、時間にも余裕を持ってチェックインを済ませ、出発ロビーでボケっと待つことしばらく。
小型機が滑走路で立ち往生してしまって大分空港に向かっている便が着陸ができない、
とのアナウンス!
ええええええ
滑走路1つしかないんかい!
動揺しつつ更に待つことしばらく、着陸するはずだった便が福岡空港と北九州空港へダイバート。
着陸便をメンテしてすぐ出発便に使われる予定だったので当然出発便も欠航。滑走路云々どころか乗るべき飛行機が大分空港にいない状況。しょうがない。
しかし困るのは帰りの足。
選択肢は2つ。
①明日朝一番の飛行機(ないしは新幹線)を取り直し、今日はもう一度祖母宅へ戻る。
②今すぐ空港を出て福岡県行きの特急列車に乗り、福岡から新横浜まで最終の新幹線で帰る。
…②!!!
明日は私も母も朝から仕事!社会人の意地をかけ、ダッシュでタクシー飛び乗り、「ここ(空港)から一番近い、特急に乗れる駅へお願いします!」……タクシーで6000円!!!!!!
土地勘のある人で今日中に東京に出たい人たちが続々と田舎の駅に駆け込んでくる、「小倉までの特急券と新幹線の切符両方ここで買えますか?!」
駅員さんの冷静な捌き具合。無事新幹線の指定席も取れ、なんとか当日中に新横浜へ帰れた。くたくた。解散。
と思いきや、私は巻き込まれなかったが、
後ろの便からなんとまさかの福岡ー大分間で特急が通る路線が大遅延した模様。
福岡でジャニーズ?のコンサートがあったようで帰りのオタクたちが盛大に巻き込まれ、
そして更に踏んだり蹴ったりなのは
大分空港に着くはずだったのに福岡で降ろされた空路の乗客たちが特急で大分向かおうとしたら今度は電車が止まっているとかいう悪夢(笑)ご愁傷様、、
平成最後の夏、夏を感じつつ面白い体験もできた。大分行けて良かった。解散!
ちなみに今後同じ状況になった人の為に書いておくと、大分空港から一番近い、特急に乗れる駅はJR杵築駅(キツキと読む)
空港から杵築まではタクシーが早い。時間に余裕のある時はタイミングによってバスも出ている。
杵築駅から特急博多行きに乗り、福岡県の小倉駅で降りる。そのまま新幹線で東京まで出れる。よ。
大分へ帰省した二日間のはなし。
夏の終わり、今年最後の暑さを感じた2018年9月15日16日。三連休の前2日。
大分県に住む父方の祖母の元へ帰省をした。
大学四年の正月ぶりだったのでほぼ四年ぶりぐらい。
羽田まで電車で1時間なハマ線の利便性に驚きつつ 羽田空港着、母と合流。
前日の晩遅くまで飲んでいたのでこの日はもう意識飛びそうなほどに眠い。
乗っている飛行機の離着陸を感じることなく爆睡。
そして大分空港
到着ロビーには足湯
レンタカーを借りて出発。空港から車で1時間ぐらい。ちなみにバスは時間が合わず、電車なんてものはない。(後々これに泣く)
のどかな風景を眺めつつ、途中整備された川を見つつ、祖母の元へ。
祖母と会うのは1年半ぶり?ほど。
元気だった…入院していたとは思えないほど元気だった。ろくに顔も見せず連絡もとらない私が言うのもなんだけど、良かった。
そんで、まあ、田舎はひまなので、兄を連れて近くの海浜公園へ。
う、うみたのしー!!!とはならず、ただただ無心になった。私の代わりに出勤してくれてる自部門のパートさんや世間の三連休に休みを取れるよう後押ししてくれた他部門のパートさんたちに感謝をしつつ、でもまあ仕事のことはもう残してきた人たちに任せ、ただ無心で遠くまで続く海と広く大きい空を眺めた。足下には数多のふなむし。
17時には帰ってくるんだよ!という叔母さんの言葉を思い出し、焦って戻ると、出ました!バーベキュー!海老うま!!!
倉庫というか、ガレージというか、なんでも置き場を覗くとばあちゃんはしっかりと生活していると分かった。
そして、夜。恒例のお風呂屋さんへ行く道中、楽しみにしていた田舎での運転、私は完全にナメていた。
暗い、とにかく暗い、街灯も民家もない、ハイビームでなんとか前が見えるぐらいのレベルで暗い。そして脇は側溝もなくいきなり田んぼへ落ちるような道。
私の運転は危うすぎる、叔母も乗っていることだしということで兄にハンドル権を交代させられ、、
そんなこんなで20時閉店の近所のホームセンターへ行ってみると、なんと閉店50分前から蛍の光が流れている…え…
雨天だったので星空は見えず。これだけ残念。
翌朝日の出前に起きるよ!と兄に伝え22時過ぎには就寝。健康だ〜〜
写真のデータが重そうなので2日目のはなしは次の記事へ。
トオイカゼが未来を繋ぐ時
「始まりと終わり 埋めがたいギャップが恋で」
今から見ればオモチャみたいなMP3プレーヤーと今でも宝物なカセットテープに録音した音源。これをずーっと聞いてた小学生の頃。
あの頃はまだポルノの歌詞はほぼ9割理解できていなかった。
昭仁さんの声が好きで、晴一さんの曲が好きで、TVもラジオも雑誌も全部チェックして、ポルノグラフィティが一番好きだったあの頃。
だけどあの頃の私は小学生。エンリピしてたこの歌詞も「始まりと終わり 梅が鯛 ギャップが鯉で」だと思ってた。ほんとに。意味を深く考えたところでそもそも音楽は語感重視で意味なんてなくても普通なんだと思ってた。梅が鯛 ギャップが鯉。おめでたいものと期待ハズレみたいな、晴一さん上手いこと言ったなって。
それが今更、25歳になって、この歌詞の意味がすとんと理解できる瞬間がきた。それも電車に乗ってる時、突然。
そして10年以上経って理解した歌詞に最近の私が救われた。
救われたっていうと大袈裟で、その頃ずっとモヤモヤして消化できなかったコトに対して、ゴールが見えた。いきなり解決できたわけじゃなくて、ただ、消化できるまで立ち止まってなくていいんだって気付けた。この先いつか人生経験の一つとして思い出になってやんわり懐かしく思える日がくるんだろうって思えた。なんて表現してもしっくりこないんだけど、なんていうか、ありきたりに言って「前を向けた」。
それで更に、さっき帰り道歩いてる時にふと気付いたこと。
昔聴いてた言葉が10年以上経って思いがけず今の私とこれからの私を繋ぐんだなあって。え…?それって、、
「トオイカゼが未来を繋ぐ時 声にならぬ言葉の色」
こういうことかな?
そういうことだといいな。ポルノもUVERも全力で大好きだった小中学生の自分、ナイス。最高の感性。
ロマンチストエゴイスト/ポルノグラフィティ
Rush/UVERworld